1997年、北海道地方選手権FR2クラス、ぶっちぎりでチャンピオンに。
この経験と強さをもって、次にステップアップ!
1998年 “全日本シリーズ”に参戦。

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全日本に出場するには、本州各地のサーキットを回らなければならず、
北海道からの出場は、移動の面、練習量の面などでも不利な点が多く
地域的なハンディが非常に大きい。 そんな中で、
学業とハードなスケジュールを何とかこなしながらの参戦だった。

〔東西統一戦〕北海道選手で初めての優勝を飾る!
栃木県那須モータースポーツランド(コース全長1,156m)で行われた
東地域勢と西地域勢が共に戦う最終戦。
参加台数も多く強豪揃いの厳しいレースで、見事に快挙を成し遂げた。
全日本デビューを果たしたその年に、いきなりの優勝だった。
平中克幸の名と強さを知らしめるのには、十分な結果だったはず。


HIRANAKA 平中克幸プロフィール KATSUYUKI
第1戦〜つま恋国際カートコース
全日本出場初体験、その初めてのレース。極度の緊張と不安が襲っていたであろう…。名古屋のチーム監督には、
「今回は予選を通ればいい」と言われたが、本人はやるからには優勝を狙う気構えだった。
予選は60台中4位で通過、決勝は4位スタート。結果は3位だったが、初の全日本で表彰台に上がることができ、
本レースでは、彼なりの走りをアピールできたのではないだろうか。
第2戦〜境カートランド
予選で、前車のクラッシュに巻き込まれ、不本意な予選落ちとなった。
第3戦〜瑞浪レイクウェイ
雨が降りそうな天候の中、レインタイヤを選ぶかドライタイヤを選ぶか迷う状況だった。彼はレインを選択し決勝に臨んだ。
初めは雨も降らず、ドライを選んだ選手達に続々と抜かれたが、中盤に雨が降り、チャンスが訪れた。
巻き返してあと1台抜けば2位ということろで、アクシデント!ブレーキが壊れ最悪の事態に。
結局そこでリタイアとなり、レース中はいつ何が起こるかわからぬものなんだと、彼は身を持って実感した。
第4戦〜猪名川サーキット
予選4番手で走行中、整備不良でマシンのネジが外れ、無念のリタイア。
決勝では天候が悪化、雨に見舞われ、しかも最後尾からのスタートで思うような結果が得られず、
全てが不調で残念な結果だった。
第5戦〜中山カートウェイ
予選3位で通過、決勝3位スタート。スタートすると共にトップに立った。しかし、2番手が常に後ろに張り付いていた。
内心「このまま行けば初優勝だ」と言い聞かせながら、懸命に走り続け逃げ切る。そして念願の初優勝を飾った。
今回の練習は三日間しかなく厳しい状況ではあったが、練習から好調な走りだったので、勝つ自信はあったそうだ。
第6戦〜琵琶湖スポーツランド
マシンのセットが余り決まらなかったことと、多くのマシンがひしめき合ってる集団の中にいた為に、
中盤でコースアウトしたことで、十分に実力を発揮できぬまま無念の結果に終わる。
最終戦 〔東西統一戦〕〜那須モーターランド
予選3位、決勝2番手を獲得。一周目でトップに躍り出てから、トップを維持するも激しいバトルを展開。
背後に迫るライバル達を払い除け、見事にこの厳しい戦いを制すことができた。
本シリーズでは、やはりこの優勝が一番の喜びだったに違いなく、また、彼の実力を十分に見せつけただろう。
<平中 克幸>1998年度 全日本カート選手権 レース結果
3月15日 第1戦〜静岡県 つま恋国際カートコース 第3位
4月12日 第2戦〜大阪府 堺カートランド リタイア
6月14日 第3戦〜岐阜県 瑞浪レイクウェイ リタイア(マシントラブル)
7月26日 第4戦〜兵庫県 猪名川サーキット リタイア(マシントラブル)
8月23日 第5戦〜岡山県 中山カートウェイ 第1位
9月20日 第6戦〜滋賀県 琵琶湖スポーツランド リタイア
11月8日 東西統一戦〜栃木県 那須モータースポーツランド 第1位
シリーズランキング 第4位


フォトギャラリー TUV WX(Katsuyuki hiranaka Information)

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